2020-11-17 第203回国会 参議院 文教科学委員会 第2号
これは、アポロ十一号に搭乗し、人類初の月面着陸を達成したニール・アームストロング船長の言葉です。一九六九年七月二十日のこと、今から五十一年前、この歴史的瞬間を一目見ようと、世界中の人、当時の五分の一に当たる約六億人がテレビ中継にくぎ付けされたそうです。アポロ計画が、その後四年間続くアポロ十七号までに、合計十二名の宇宙飛行士を月面へと送り出しました。
これは、アポロ十一号に搭乗し、人類初の月面着陸を達成したニール・アームストロング船長の言葉です。一九六九年七月二十日のこと、今から五十一年前、この歴史的瞬間を一目見ようと、世界中の人、当時の五分の一に当たる約六億人がテレビ中継にくぎ付けされたそうです。アポロ計画が、その後四年間続くアポロ十七号までに、合計十二名の宇宙飛行士を月面へと送り出しました。
これも元々、一九六一年のケネディ大統領が施政方針演説の中で、六〇年代の末までに必ず月面着陸を、有人飛行をさせて、そして連れ戻すというその方針に沿って、大統領が替わってもそれを貫いたわけでありますから、やはり大統領の影響力というのは、アメリカの大統領の影響力は大変大きいなという感じがしております。
宇宙航空研究開発機構、JAXAにおきまして、将来の月や惑星探査も見据えて、月面着陸の技術実証を行う探査機、SLIMと呼んでおりますけれども、この開発を検討しているところでございます。
私も、六三年ですかね、アポロが月面着陸するときにちょうどこんな白黒のテレビで見ていましたが、そういう中で日本の技術がこれからもっともっと評価される、同時に、今回デジタルカメラが人の顔を認証する技術というものも出ていますが、本当にロケットの進化というのはすごいなと思います。
これが、昔でいいますと月面着陸を実現したNASAのプロジェクトマネジメントが有名でございますけれども、それに匹敵するぐらい、この廃炉は、世界で初めての、溶けた燃料が三つの原子炉に入っているという、非常に技術的にも難しい、月面着陸にも匹敵するぐらいのプロジェクトでございます。
さらに、この宇宙ステーションを起点にして二〇二五年頃までに実現させようとしている月面着陸では、月にあって核融合発電の燃料となるヘリウム3の獲得をにらんでいるとも聞いています。 また、軍事的な思惑もあって、弾道ミサイル迎撃システムや現代の戦争で欠かせない衛星監視システムの整備などなど、宇宙技術の開発を中国軍が積極的にこの宇宙を使って進めているんですね。
昨年、今度は中国が月面着陸に成功した、こういうニュースが飛び込んでまいりました。中国は、宇宙進出に向けてたくさんの予算を割いて、ロケット打ち上げに成功し、月面着陸にも成功した。と同時に、その前になりますけれども、既にGDPも日本のGDPを抜いている、こういうことも公になっています。そうした中国に対して、日本は現在でも、ODAまたはそのほかも含めまして、経済的な支援を行っているわけであります。
人類で初めて月面着陸に成功しましたアポロ十一号のアームストロング船長は、月におり立ったときに、この一歩は一人の人間にとっては小さな一歩だが人類にとっては偉大な飛躍だと述べておりまして、私はこの言葉が大変印象に残っております。 この法案をこの国会で成立させていただくということが、まさに六十年ぶりの大改革を進める第一歩だと考えておりまして、しっかり取り組んでまいりたいと思っております。
私たちは宇宙に対しては非常に夢を抱いておりますし、かつて茂木大臣も、小さいころでしょうけれども、ソ連のボストークの世界初の有人衛星の打ち上げ成功とか、アメリカのアポロ十一号の月面着陸、非常に夢躍りましたよね。 小泉総理が、この間の事故のときに、どうもいま一つ明確なコメントが出されませんでした。みんな関係者は非常に残念がっていますね、この問題は。
先ほど、冒頭に自分の個人的な話をしまして、本当に重ね重ねで恐縮でありますけれども、昭和四十四年、一九六九年、ちょうど三十年前ちょっとでありますけれども、アポロ十一号が静かの海というところに月面着陸をしました。
それから、月の科学の発展と同時に、月面着陸等の基盤技術の開発を目的とする月探査周回衛星の開発研究などを共同プロジェクトでやっておりますほか、衛星の追跡管制等についても協力して行ってまいります。 今後、効率的に宇宙開発が行えますように、宇宙開発委員会の調整のもとで今までも連携協力を進めておりますけれども、今後ともそういう点に意を払っていかなければならないと思っております。
○扇千景君 宇宙開発事業団、今回のことで張力返ってみましても、今世紀は私たち人類にとって宇宙に関しては大きな夢が開いたといいますか、目からうろこが落ちたとよく言いますけれども、有人のシャトルが上がったり月面着陸したり、本当に今世紀は私ども人類にとって初めて見るものを映像を通して肉眼で見ることができた最大の世紀であっただろうと思うんです。
私どもは、少年時代、アポロ十一号の月面着陸等をテレビを通して見てきた世代でございますけれども、あの当時の、夢を追いかけ人類の可能性を切り開くというような熱気の中に行われたアポロ十一号計画という中で、皆さんが、技術者の人も打ち上げに従事している人たちも心を一つにしながら、その夢に向かい、新しいフロンティアに向かい挑戦している姿は大変感動的なものでございました。
思い起こしてみましても、月面着陸を目指したアメリカの宇宙飛行士アームストロング船長とオルドリン飛行士が月の静かの海に着陸されたのが一九六九年、昭和四十四年でしたし、その年に我が国においては宇宙開発事業団が発足をいたしたわけであります。その後、アメリカにおきましては六回の着陸が行われ、十二人の飛行士たちが月面におり立っておりますことは大臣が御承知のとおりであります。
昭和三十年の四月の生まれでございますから、ちょうど日本にロケットが誕生したときにこの世に生をうけたということになろうかと思いますけれども、中学時代がアポロ十一号の月面着陸というようなことでございまして、そのとき以来、宇宙開発に夢を持ちながら青春時代を送ったという経歴を持っている男でございます。
私たちが初当選を果した昭和四十四年は、米宇宙船オリンピア号が人類初の月面着陸に成功した画期的な年であり、また日本経済も成長軌道に乗り、繊維、鉄鋼をめぐり、日米経済摩擦が顕在化してきた時期でありました。他方、アジアでは、ベトナム戦争の戦火は収まらず、カンボジア内戦に波及し、中ソ論争は、米中接近を誘発し、複雑な外交展開の中で、米ソ超大国が火花を散らす緊張と対立の時代でもありました。
しかし、国際的には東西対立が激化し、アポロ十一号の月面着陸に見られるように、アメリカとソビエトの競争は宇宙開発にまで及んだのであります。幸いなことに我が国は、東西対立の荒波にのみ込まれることなく、平和な日々を送ることができましたが、この間、私どもが立法府の一員として世界平和の維持、国力の進展、ひいては国民生活の安定と向上にいささかなりとも貢献できたとしまするならば、まことに喜ばしい限りであります。
そして私自身がちょうど小学校の六年生のときに、アポロ十一号の月面着陸がございました。いまだに鮮明に三人の飛行士のお名前を覚えているような大変強烈な印象でございました。その翌年に、国産初の人工衛星「おおすみ」の打ち上げが成功したわけであります。
人類の月面着陸、ベトナム戦争、大学紛争という青年の反乱、少数民族の分離独立運動だと世界史的な意味を持つ事件が六〇年代の終わりから七〇年代の初めに集中しています。 こうした事実を想起した上で、人、物、金、情報の国際化という広義の国際交流のうち特に人と情報の国際移動に注目しますと、日本では一九六四年に海外渡航が自由化され、一九七二年に国際交流基金が設立されております。
特に、米国における宇宙開発は、米国航空宇宙法に基づき発足した米国航空宇宙局、NASAが中心となり、月面着陸やスペースシャトルを初め宇宙基地など、活発な開発を展開しております。
衛星幹線が完成を見ましたことは、ひとりわが国の通信サービスが拡張されたことにとどまらず、通信路の多様化によりましてわが国が世界を結ぶ通信センターとしての役割りを一そう高めたのでございまして、現に昨年七月アポロ11号打ち上げの直前、大西洋上の通信衛星が故障となりました際に、欧米各国からの緊急要請に基づき会社の機動性を遺憾なく発揮して、太平洋、インド洋にまたがるテレビ伝送回線を成功裏に設定し、人類初の月面着陸